森保監督、目を潤ませ「平和をかみしめて最後まで臨む」 第二の故郷・広島原爆の日に3位決定戦 – 記事詳細|Infoseekニュース

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森保監督、目を潤ませ「平和をかみしめて最後まで臨む」 第二の故郷・広島原爆の日に3位決定戦 – 記事詳細|Infoseekニュース
東京五輪男子サッカー代表の森保一監督が5日、埼玉スタジアムで公式会見を行い、第二の故郷である広島の原爆の日に行われるメキシコとの3位決定戦(6日)への思いを語った。試合が行われる8月6日は、1945年に広島に原爆が投下された日。長崎県出身で、広島で選手、監督として過ごした森保監督にとって思い入れがと…

内容紹介

伝えたい少年原爆体験記。11歳のヒロシマ

広島に原爆が落とされたのは、1945年8月6日でした。11歳の米澤鐡志さんは、爆心から750メートルの電車内で母親と一緒に被爆します。母親は9月に亡くなり、母乳を飲んでいた1歳の妹は10月に亡くなります。
この本は、米澤少年の目で見た、8月6日その日のことと、その後何が起こったか、という記録です。

ブラウスが突然発火して、体が焼け始める女性、皮膚が布地のように垂れ下がって、幽霊のように見えた人たち、防火水槽に飛び込んで亡くなっている赤ちゃんを抱いた女性、川を流れていくたくさんの死体。
11歳の少年が見た光景を、読者も知ることになります。

「どんなにつらい記憶でも、知らないよりは知ったほうがいいと私は思います。本書は読むのも苦しい内容ですが、きっと未来のための知恵を与えてくれるでしょう」(京都大学原子炉実験所 小出裕章さんによる「はじめに」より)。

原爆や核についてお子さんと考えるとき、最適の1冊です。

【編集担当からのおすすめ情報】
米澤さんは「語り部」として、被爆体験講話を全国各地で行っています。爆心地1キロ以内での体験の迫力に、米澤さんの「語り」を聞いた人たちは、誰かに伝えなくては、という思いにかられてしまうのだそうです。

これまでたくさんあった、本にまとめる誘いをすべて断ってこられましたが、
2011年3月の東日本大震災での福島原発の事故と、ふるさとを追われた福島の人々を見て、考えが変わり、広島を体験して生き残った自分の役割として、体験を本の形に残して、これからも多くの人に読んでもらいたい、と思ったのだそうです。

そのころ、この本の文章を担当した由井りょう子さんとの出会いがありました。由井さんは、米澤さんの話を聞き「本にまとめましょう」という提案をします。米澤さんは、本のために追加取材を受けることを決めました。

この本は、これまで米澤さんの「語り」を聞いたことのある人にとっては、「やっと本になった」という待ちに待った本、はじめて接する人にとっては「こんなすさまじい体験を小学校5年生がしたのか」と驚きとともに知るヒロシマの現実、という本でしょう。
米澤さんは、被爆一世の語り部として、最年少です。
小学校4年生以上で習う漢字にはふりがなをふりました。
すべての方にとって、原爆被爆の実際を知るために、おすすめです。




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